②独自に発展した文化
の2つの項目を前編としてご紹介させて頂きました。
タビスケ アフリカ大陸というとどんな想像をされるでしょうか? アフリカのイメージを聞いたというアンケートでは以下のような結果があります。 [caption id="attachment_4035" align="a[…]
④凄惨な過去の数々
特に④に関して、アフリカの国々で起こった過去を知ってもらうことはアフリカの人達を理解するのに避けて通ることはできないとても重要な部分だと思いますので、少し長めになってしまいましたが、読んで頂ければ幸いです。
③圧倒的な大自然
人類発祥の大陸と言われる大地の美しさ、何かの起源を感じるには十分すぎる景色だということがわかるでしょう。
世界一過酷なダナキルツアー
2泊3日から3泊4日の2パターンあります。
内容はどちらも変わりませんが、3泊4日の方が半日ほどゆっくり進行する程度で正直3泊するほどの価値は感じられませんので、2泊のツアーで十分だと思います。
主に向かう先は下記の4ヶ所。
【エルタ・アレ火山】
火山の火口まで行き、運が良ければマグマを肉眼で見ることができます。
以前はマグマが火口近くまで上がっており、いつでも迫力のあるマグマを見ることができたのですが、2017年に噴火したことでマグマの量が減ってしまい、8m下まで下がってしまったそうです。
マグマが見れたらラッキーぐらいに思っておいたほうが良いでしょう。
【ダロル火山】
別名ナメック星と呼ばれ、地球とは思えない場所の一つ。
強烈な硫黄の匂いと吹き出してくる強アルカリの温泉によって、周囲の色が変わってしまった景色を見ることができます。
現在エルタ・アレ火山でマグマが見れない以上、このダナキルツアーのメインはこちらでしょう。
着色されたかのような鮮やかな黄色や緑色は本当に綺麗で、自然のものとは思えないほどの美しさに来て良かったと思えるはずです。
至る所から煙が出ていますが、この煙は有毒のため、風下にはいかないようにした方が良いでしょう。
煙を吸ったときの鼻や喉、そして目への強烈な刺激でとても居続けられません。
【アサレ塩湖】
ダロル火山のすぐ近くにある塩湖で、乾季のウユニ塩湖のような光景を見ることができます。
塩で形成された奇岩群もあり、見学することも可能です。
全ての岩石に塩が含まれているので、どこを舐めてもしょっぱく、また塩含有の独特な地形が非常に面白い場所になります。
【アフレラ塩湖】
最後のスポットはアフレラ塩湖。
どちらかというとヨルダンにある死海に似ており、非常に塩分濃度が濃いため、死海のように身体を浮かせることが簡単にできます。
死海にまだ行ったことのない人は非常に面白い体験ができるのではないでしょうか。
本物の野生動物を見れる各種国立公園
そのイメージは少しも間違いではありませんが、「時期による」ということは覚えておいた方が良いでしょう。
野生動物は季節を敏感に感じ取り、季節ごとに場所を移動するため、動物たちが活発でない時期はなかなか出会えないといった事態が起こりえます。
基本的には6〜8月は動物が活発なのでオススメです。
他にも1〜2月は動物の出産シーズンということもあり、動物の子供たちを多く見れる穴場な時期でもあります。
国立公園では常にガイドを雇って、車でしか中に侵入することはできませんが、国立公園ではない場所では自転車に乗って野生動物を見つけにいくこともできます。
ケニアのナイバシャという湖の周りではキャンプサイトがいくつもあり、その周辺を自転車レンタルで走り回ることができます。
自分の脚で探し回り、野生動物を見つけたときの感動は格別です。
ナイバシャ湖はカバの生息地でもあり、キャンプ場で野営をしていると夜中にすぐ近くまでカバがやって来て草を食べているシーンに出会うこともできます。
世界三大瀑布のヴィクトリアフォールズ
ザンビアとジンバブエの国境にあるこの滝は、幅と落差の両面から滝としてはブラジルにあるイグアスの滝と並んで世界最大級。
雨季と乾季で水量がかなり違います。
雨季の時期である1月から4月は勢いよく落ちた水しぶきが激しすぎて雨のように降ってくるので、見学に行くにはカッパや傘が必須です。
ヴィクトリアフォールズはとても貴重な絶景がみれる場所、月に一度満月になる前後2日間のみ夜間に一般公開をしています。
満月の光が滝の水しぶきに反射することで見える夜の虹。
これをルナレインボーと呼び、非常に観光客から人気があります。
これには本当に感動です。
国全体が大絶景というレソト
国土のほとんどが山間地帯であり、平均標高は1400mを超えます。
高層ビルなどの高い建物はほぼ無く、首都も戸建ての家が多いです。
古き日本の田舎のような原風景が広がっているため、首都を離れて別の街へ行く際にはどこを見ても絶景しか見えません。
国民の99%がソト族で、田舎の方に行くと主要な移動手段として馬が使われるため、馬で移動する子供達を多く見ます。
レソトで特にオススメなのは「マレツニャーネの滝」で落差190mという大きな滝です。
ここで見る滝は本当に美しいため、ぜひ訪れてもらいたい場所の1つ。
④凄惨な過去の数々
それは極々最近まで影響を及ぼしていました。
現地の人たちと話してみると分かりますが、アフリカの人達の多くは人種の違いをかなり意識しています。
背景にはやはり植民地時代の名残と、現代にまで及ぼす影響が色濃く反映されてしまっているのでしょう。
隣人同士で殺し合ったルワンダ大虐殺
ルワンダにはツチ族、フツ族がいると言われていますが、この両者にはほとんど違いがありません。
ベルギー植民地時代、勝手に二つの民族に分けさせられたのです。
なんの違いもない人達が勝手に区別され、一方は優遇され、一方は虐げられる。
それに不満を感じていたフツ族と呼ばれた人達でしたが、アフリカ各国の独立運動が活発化するとベルギー政府は多数の人口を有するフツ族を急に優遇し始めます。
ベルギーに変わり新たに統治したフランスも、同様にフツ族を支持しました。
急激に力をつけ始めたフツ族とツチ族の間に緊張が高まり、最終的に当時の大統領が暗殺されたことが引き金となり、1994年4月よりフツ過激派によるツチ族への大量虐殺が始まりました。
大虐殺に関しての詳細な内容はここでは控えますが、事の発端からみても、ベルギーやフランスといった当時の帝国主義がルワンダという国に恐ろしい爪痕を残したことが分かると思います。
ルワンダ大虐殺に関しては、ルワンダの各地に記念館や資料館があり、当時の白骨遺体が大量に並べられている場所もあるので、訪れると当時の凄惨な状況が分かるでしょう。
ほとんどの記念館は無料で入ることができ、場所によっては無料でガイドさんが説明もしてくれます。
ガイドさんはツチ族と呼ばれ虐殺された側の人で、涙をこらえながら必死に説明してくださる姿に胸が打たれます。
奴隷として多くの人間が連れていかれたタンザニア
タンザニアの一番有名な拠点は「ザンジバル島」。
ザンジバル島は今や観光地としても非常に人気があり、非常に海が綺麗であることから、有数のダイビングスポットにもなっています。
そのザンジバル島の旧市街であるストーンタウンというところに奴隷市場がありました。
ただ、今回ご紹介したいのはそんな有名すぎるザンジバルではなく、スポットの当たらなかったもっと根本的な場所。
それはタンザニアとモザンビークの国境近い場所にあるミキンダニ(mikindani)という町。
小さい町であるため、主要交易品は奴隷。
マラウィやタンザニア南部各地からアラブ人によって集められた奴隷商の拠点となった場所なのです。
ここからザンジバルを含む多くの場所へと奴隷たちが売り捌かれていきました。
現在は地元の人によって再利用されているようですが、外観は当時のまま。
近くに当時の奴隷市場の状況や奴隷制度の事、またミキンダニ周辺の部族の特徴などが残されている資料館のようなものがあり、無料で中を見学させてもらうことができます。
今も黒魔術が信仰されるマラウイ
日本においても例外ではなく、JICAなどの海外青年協力隊を一番派遣している国でもあります。
マラウイは非常に保守的な国民性だと言われており、昔ながらの宗教や言い伝え、そして黒魔術が今もなお現存しているのです。
特に2014年ごろからアルビノ(先天性色素欠乏症)の人達をターゲットにした黒魔術や呪術が急増しています。
アルビノはその病気の特性上、体全体が白くなってしまうため、周りの黒人達と比べると非常に目立ちます。
その白い身体の一部分が富や健康をもたらすと信じられており、アルビノを殺して一部分を手に入れようとする人がいるのです。
2017年にはアルビノの17歳の男の子が殺害され、脳まで持ち去られてしまったという事件がありました。
マラウイの田舎の方ではBARが悪魔の巣窟と言われており、BARで飲んでいる人たちは悪魔の子だと言われてしまうため、現地の日本人はお酒を飲むことができなかったという話が実際にあります。
現地で働く日本人がマラウイ人の友人にある物を貸していたのですが、いつまで経っても返さないので、「早く返さないと呪っちゃうよ」と言うと急に震え出して、次の日にはちゃんと返しに来たそうです。
マラウイの人々は噂や思い込みが激しく、少しでも過激な事はしないよう訪れる際には注意が必要。
手品を見せると本気で魔術師だと恐れられて迫害されるので、絶対にするなと言われていました。
アパルトヘイトの戦地南アフリカ
アパルトヘイトは「分離、隔離」を示す言葉で、特に南アフリカにおいて白人と非白人を分ける人種隔離政策の事。
もともと南アフリカをイギリスと、オランダ系アフリカーナーと呼ばれる人たちが植民地としていましたが、アフリカーナーはイギリス系白人と比べるとプラホワイトと呼ばれるように貧困に窮していました。
そこで彼ら白人の貧困層を救うために、次々と人種差別的な法案が立案されてきたのです。
- 人種によって職種や賃金を制限し、熟練労働を白人のみに制限する「鉱山労働法」
- アフリカ人の居留地を決め、それ以外の土地の取得や貸借を制限した「原住民土地法」
- 白人労働者の保護を目的とする「産業調整法」(アフリカ人は労働者と認められない)
仕事がない、仕事があってもキツく働いても賃金は低い、生活はやっていけない状況。
犯罪をしてでもお金を集めなければ生きていけない状況が続くわけです。
黒人たちは白人から完全に搾取され続ける地獄のような生活が始まります。
アパルトヘイトは1913年ごろから始まり完全に撤廃されたのが1994年、26年前まで実施されていた政策です。
アフリカ各国を巡ると、アパルトヘイトに似たような政策はどこの国でも行われていて、その爪痕はいまも現地で生きる人達の心の中に残っているように感じます。
アフリカという地において黒人の人口比率は圧倒的であり、ほとんどが黒人であるにも関わらず、多くの人が自分の肌が黒いことを気にしています。
日本で過ごし、肌の違いなどほとんど気にしたことのない僕らにはとても不思議な話でしたが、ほんの数十年前までアパルトヘイトが実施されており、過去80年近くもそれが続いてきたわけですから、もしかしたらある意味で仕方のないことなのかもしれません。
ただ、約40年ほど前からアパルトヘイトに反発し、人種差別をなくそうと戦った人達がいました。
そのうちの一人がアパルトヘイト撤廃後の初の大統領となり、ノーベル平和賞が贈られたネルソン・マンデラです。
彼はアパルトヘイト反対運動に若くして参加し、国家反逆罪で27年もの間投獄されます。
ネルソンマンデラはその他の運動家たちと共に南アフリカのケープタウンという首都から少し離れたロベン島に監獄されました。
ロベン島では現在、政治犯として実際に投獄されていた元囚人の方が、ガイドとして当時の話を色々教えてくれます。
人生を変えるほどの衝撃があるアフリカまとめ
今回ご紹介したい事が多く、1つ1つの内容を最小限の情報に抑えざるを得ませんでした。そのため1つ1つの内容が少し薄くなってしまった部分やご紹介できていない事もまだまだあります。また機会があれば、それぞれの項目を更に深くご紹介できればと思います。
紹介させて頂いたようにアフリカの過去は動物にとっては楽園のような世界でしたが、そこで暮らす黒人達にとっては地獄のような世界でした。
日本では普通に夢を語れるのに、アフリカでは先が見えず夢を思い描く前に、明日どう生きるかを考えなければいけない人達が本当に沢山いたのです。
マラウイの田舎で出会った青年が21歳にして動画制作に打ち込み、将来の夢を語り、仲間達と日々笑いながらも真剣に取り組む姿には力強さを感じました。
持っている機材は何世代も前のカメラと分厚いノートパソコンのみ、ただ、必ず夢を叶えるんだという気迫も持ち合わせていました。
そんな彼らを少し羨ましく感じ、自分を思い見つめる良い機会となったのは言うまでもありません。
ただアフリカという過去を知り、現代を前向きに生きている姿を真剣に見て感銘を受けることは間違いないと思います。
この記事が少しでもアフリカへの興味に繋がれば幸いです。
タビスケ アフリカ大陸というとどんな想像をされるでしょうか? アフリカのイメージを聞いたというアンケートでは以下のような結果があります。 [caption id="attachment_4035" align="a[…]